Bye Bye Blackbird
久しぶりに会った郁子はキャップを被りメガネをかけていた。
これだけ有名になったのだからしょうがない、暗いバーのほうがいいということで彼女の知ってる店に入った。リハーサルが明日でライブ本番が明後日の梅田クラブJ。
今の彼女の生活は東京がベースになっていて実家のある関西にスタッフより1日先に入ると理由をつけて帰ってきたらしい
店に入りキャップを取った郁子は笑顔で開口一番
「中山さん、相変わらずだねえ」
「えっ?何が」
「黒い服だよ」
「ああ、これ?」
「中山さんは、昔からいつも黒い服ばかり着てた、車の色も黒」
「うん、黒が好きだから、自分でもよくわからないけど、似合うかな?」
「似合ってるよ、中山さんって言えば黒のイメージだもん」
郁子とはそんな会話で始まった
「でも、凄いね最近の活躍」
「ああ、運が良かっただけだよ、続かないかもしれないし」
「会社の連中、驚いてるよ、君の話題でもちきりだよ」
「そう。。。」
郁子の表情が曇ったように見えた。会社のこと、言わなきゃ良かったかなと
孝治は話題を変えようと思った、その時郁子が口を開いた
「あたしね、ずっとひとりだったでしょ、暗くて付き合いが悪いし」
「しょうがないよ、他のことで忙しかったんだから」
「あの頃のあたし毎日6時間以上練習してたんだ、知ってる人のスタジオ借りてね」
「凄いね、仕事、終わってからだろ」
「でも幼い頃は朝から晩まで練習してたから、それに比べたらたいしたことないけどね」
「いや、仕事しながらだから全然違うよ」
「ありがとう。。。そんな生活だから普通のOLはできないし、工場で誰とも付き合わずにいるのが一番だったの。これは前にも中山さんに言ったことだよね」
「うん、聞いたよ」
孝治は今の郁子を知らない。共通の話題は昔の町工場のときのことだけ。彼女もあえて今の自分を語ろうとはしない。有名になってからの郁子にはいろいろな噂はあったが、孝治も触れずにいた。
「ねっ、中山さん、ライブ来てくれるよね!」
「もちろん、行くよ」
「嬉しい!中山さんは何処か違った雰囲気があってね、あの頃から気にはなってたんだよ」
「ええ!ウソだろ、天下の斉藤郁子にそんな冗談を言われたら心臓に悪いよ」
「ふふふ」
郁子はそれ以上、何も言ってこなかったが、気分だけが妙に浮ついてしまった
この時間が止まればいいと何度も思ったが、残酷にも時計の針は進んでいく
「もう帰ろうか。。。」
孝治が気を利かせて言った
「うん、そうだね。明日スタッフが来てリハもあるし」
郁子は切なそうな顔を一瞬見せたが、席を先に立った
二人が外に出ると小雪がチラチラ、舞い落ちてそれがネオンの光と交差してとてもキレイだった
「あの日と同じだね」
「ああ、雪って好きですかって聞いてきた日か」
「うん、もう一年経つんだあ」
ガード下を歩いてるとき、ふと立ち止まった郁子は孝治の唇に自分の唇を重ねてきた
それは一瞬の出来事、何が起こったかさっぱりわからず、孝治の頭はまっ白になってしまった
「じゃあね!」
郁子は走ってきたタクシーを止めると乗り込んで走り去って行った
孝治はその場で呆然と立ち尽くしていたが、だんだん喜びが湧き上がって小躍りしたくなった
あの斉藤郁子とキスした、今度こそ夢じゃない!、みんなに言ってまわりたいくらいだった
ライブの日、朝から大阪は雪模様、積もるほどではないが、足早に帰る人が多かった
郁子のライブ、人がはいってるかなあ。。。心配しながら会場に向かったが、そこはもう立ち見も出るほどの超満員の観客で溢れている、彼女の姿は遠くからしか見えなかった。
この客の中で孝治と郁子だけがあのキスを知ってると思ったら、優越感さえ生まれ、自分もこの世界の人間だと傲慢にも錯覚してしまう。
郁子の演奏は卓越したテクニックに溢れ、ベースとドラムスとのコンビネーションも抜群だった。これだけの演奏力があったとは。。。目に映る郁子の指は縦横無尽に鍵盤の上を動いてる。孝治は圧倒されながらそれを見ていた。観客からの拍手が鳴り止まないうちにマイクで郁子が一言
「この曲を最後に今日のライブは終わります、皆さん、どうもありがとうございました、今日のお客様にこの曲を贈ります。。。」
Bye Bye Blackbird
あまりにも有名なスタンダード作品だ、最近ではキース・ジャレットが亡きマイルスに捧げている
孝治、観客、皆、静かに郁子の演奏を聴いてライブの幕はおりた。。。
アンコールはなしで、店がいつものざわつきを取り戻したころ、孝治は郁子に電話をかけた
今日のライブのお礼を言いたくてただそれだけだったのだが、電話は繋がらなかった。
スタッフや仲間たちとの打ち上げやマスコミ関係のインタビューとかで忙しいのだろう。
そう思い、何日かあけてから、電話することにした
「もしもし」
「おかけになった番号は現在使われておりません。。。」
「ええ!」
何度かけても同じ、メールもエラーメッセージで返ってくる
孝治は自分の鈍感さを思い知った
Bye Bye Blackbird
あの曲は自分に対して演奏された曲だったんだとようやくわかったのだ
「似合ってるよ、中山さんって言えば黒のイメージだもん」
郁子の言葉が頭の中を巡った
彼女は最後に何かをいいたかったのかもしれない
それが言えずに出した答えは、あの曲を演奏することだったのだろう
その意味するところはまだわかっていない
でもひとつ言えることはバイバイだった
彼女はまたひとつ謎を残して帰っていった。。。